2010年11月22日月曜日

国道オアシス観音山構想

8号線「国道オアシス観音山」構想

      建設の目的・趣旨 
○ドライバーのオアシスとなる魅力あるサービス空間を提供する。 
○サービスエリアの経済活動を核にして、地域の人々の連携を深め、
地域のオアシスとなる。
○障害者の支援団体と連携し、障害者の雇用・社会参加・居場所
づくりを推進する。
○地元の生産者と連携して健康食材の生産及び消費を高め、地域を元気にする。
○工芸の会、趣味人と連携して作品を常時展示・販売する「アンテナギャラリー」を運営することによって人々の交流を深め、楽しい国道環境を演出する。

仮称「オアシス観音山」建設素案(将来構想)
○敷地の東(図右)奥に平屋建てを基調として長屋風に店舗・トイレを建設する。長屋の前面に雨よけひさし、野外テーブルを配置する。
○国道側にドライブスルーを配置し、自販機を設置する。
○敷地の中央に広く2車線を確保し、両側に駐車場を配置する。西(図左)奥を大型車の駐車場にする。
*有志・関係者による定例・臨時の建設推進会議をもち、意見を尊重した建設・運営に努める。
(株)西陵開発の経営
○西陵開発は、個人所有の土地を借用したドライブイン経営の認可を得ている。2011,3月に新規スタートするべく司法書士に依頼して手続き中。資本金1000万円、資産なし、借金なし、借地4772平方メートルで再出発。
○西陵開発は全体構想を決定し、全体を維持管理する。上下水道を引き、トイレを建設し、食堂及びギャラリーを建築・運営し、駐車場を整備し、自販機を管理し、出店者を募りテナント料・地代を徴収する。店舗の建設は西陵開発が行う場合と出店者が自費で行う場合とがある。
○直営あるいは出店者による地産品(農産品、山菜など)の活用・販売、障害者の雇用・参加支援を推進する。移動(テント)販売者を招致する。
○西陵開発の役員は無報酬とする。ただし、経理は委託し、出張費など必要経費は支払う。徴収したテナント料・地代から出費を引いた残りを株主配当及び借金の返済にあてる。

今後の予定
資本金の募集……常設大型テントの設置、上下水道・トイレの建設
○テント販売業者の誘致、屋台経営者の募集……看板の設置、屋台村づくり

   まずは、建築許可の要らない移動販売業者に格安で場所を提供し、移動販売の種類と回数を増やす。販売日予定表を掲示する。……テント販売村構想。
   さらに屋台小屋販売者を集める。焼き芋、ピザ、タコ焼き、焼きそば、手打ちそば、…などなどの屋台小屋(建築許可の要らない範囲で、保健所の許可を受けて)を建て、自由な時間に営業する。……屋台村構想。

   テント村、屋台村の実績を見て、ドライブインの建設を構想する。出来れば道の駅としての申請を行う。

ご意見、ご指導を期待します。
ご質問も承ります。

2010年11月21日日曜日

NHK朝の随想金曜日

<平澤平四郎、NHK朝の随想金曜日> 9月14日9時~収録 
1 10/1木遊館長もいいかな  2 木遊館の木工塾  3 木遊館の支援活動
4 アンテナギャラリー構想  5 国道オアシス観音山  6 地域株式会社
7 障害児と普通学級 8 11/12果物の心
1(10/1) 木遊館長もいいかな
 はじめまして、平澤平四郎と申します。長岡市宮本にある木遊館という木工房の館長をしています。何の実績もない私に朝の随想の依頼が来ました。「私でいいんですか?」何度も念を押しましたが、「たまには変人もいいんだ」と言われました。教員時代、子どもたちにチャレンジ、チャレンジと言ってきた手前、私もチャレンジで務めさせていただきます。よろしくお願いいたします。
 定年退職したら、キャンピングカーで日本中を回ろうか、畑を借りて自給自足の生活をしようか、南の島でのんびり暮らそうか…そんな夢を真剣に考えた50代ですが、定年が近づいて心境は変化しました。障害者や引きこもりの若者の自立を支援する木工房を作ろう、地域を活性化するアンテナ市場を作ろう…と、真剣に考えるようになりました。
 思えば、わが身を生かすにやっとの時期があり、家族を生かすに精いっぱいの時期がありました。ストレスの多い日々には、釣りや旅行、自由にのんびりと過ごすことへの願望がいつもありました。ところが、定年が近づいてくると、世の中の片隅を少しでも温かくするようなもうひと働きをしたいという思いが募ってきました。ストレスからの解放が、逃避願望からチャレンジ願望へと心境を変化させたのです。好きな工作をしながら障害者支援もする、退職金でそんな木工房を作りたいと、人にも話すようになりました。
 ある夜、雪国植物園の大原さんから電話がありました。木工館を建てたら館長をしてくれますか?してくれるなら建てるけど。と言うのです。どうやら植物園のある宮本町内の人と酒を飲んでいるようでした。「植物園の間伐材を少しでも生かしたい、ついては植物園の隣に木工房を作りたい」と大原さんが話すと、隣で飲んでいた元教師の布川さんが、「隣の杉林は自分の土地だから、木工館を作るなら寄付しましょう」と申し出たのだそうです。その心意気に大原さんは、「建設費の半分を自分が寄付して、半分は市の補助をいただいて建てましょう」という話になったようです。そして、給料なしで働く館長に平澤をということで、その場から私に電話がきたのです。私は、木工館を建てるつもりで人づてに物色していましたが、数年、見つからないでいましたから、それもありかな?と思い、「わかりました、やります」と答えました。実は私も家で飲んでいたのです。3人の酔っぱらいの酔った勢いで「木遊館」はできることになりました。

(10/8) 木遊館の「木工塾」
 木遊館は、長岡市の「雪国植物園」を運営する社団法人「平成令終会」の建物として平成19年4月にオープンしました。運営費は館長の責任でまかないます。私は、長岡市の教育スローガン「熱中!感動!夢づくり」に即した、児童の体験授業を教育委員会に提案しました。植物園を生かした植物の授業と木を使った造形活動で1日過ごすという提案です。話はとんとんと進んで予算がつきました。教育委員会の事業「ジョイフル里山木工塾」の委託を受け、毎年、長岡市内の30校1200人の体験授業を行っています。バス代も体験料も教育委員会もちですから人気があります。今、学校では、木工授業をほとんどしなくなりました。材料や道具の手配は、忙しい先生方には負担が大きいからです。それを丸投げでできるのは魅力です。木遊館では、6、7人に一人の体験ボランティアをつけて充実を図っています。
学習内容との折り合いが良い4年生を中心に、全学年が来ます。午前2時間、午後2時間、どちらも休みなしの授業ですが、子どもたちの集中力、熱中度は見事です。「うちの子供たちがこんなに集中できるとは知りませんでした」「あの子がこれほど熱中する姿を見るのは初めてです」などなど、先生方は、余裕を持って児童の観察ができ、新しい発見があるようです。
刃物は危険だから集中します。怪我もしますが、生きる力を育む貴重な体験です。今も昔も、子供たちにとって、木工作の楽しさは変わりません。
あっという間に時間が過ぎて、それぞれの作品が形になります。「楽しかった人」と聞くと…ほぼ全員が手を揚げます。「うまくできた人」…9割が手を揚げます。「またやりたい人」…ほぼ全員が手を揚げます。汗だくでお手伝いしたボランティアの方々にとっても嬉しいひと時です。
 
市内には小学校が60余りありますので、まだ半分です。希望校は増えているのですが、予算の都合で30校に抑えています。「木遊館への委託料は据え置きでいいからバス代を増やしてもらえませんか?」とお願いしているところです。「校長裁量のバス代を配当しているので、それを使ってくれるといいのだが」と言う教育委員会ですが、それを使っても行かせたい」と校長が思わないところが、まだまだ木遊館の魅力不足でしょう。

(10/15) 木遊館の支援活動
 木遊館は市民のための体験工房ですから、夏休みには、宿題の作品を作りに親子がぽつぽつやってきます。自由に材料を選んで自由に作ります。料金は1人100円、私たちは必要に応じた支援をします。今の子供たちもなかなか豊かな発想力があり、子どもならではの面白い作品を仕上げて、充実感に満ちて帰っていきます。親子での体験が基本です。作業を共にすることで、親子の絆が深まります。作品が思い出を記憶に残します。
 木遊館は障害のある人の支援も行います。親子の会、親子体験には無料でサポートします。自閉症のMさんは、熱心なお母さんの支援で幼いころからパソコンでお絵かきを始め、明るく楽しい動物キャラクターを描いていました。中学3年の秋、木遊館での作品づくりにはまりました。立体作品やジグソーパズル、壁掛け、箱、キーホルダー、次々と作りました。その集中力、持続力は、並みの少女の比ではありません。頭の中に次々とイメージが湧いてきて、製作が間に合わないという感じです。要望のままに材料を与えると、黙々と作ります。疲れると図鑑を飽きずに眺めています。それがまた新しいキャラクターに表現されます。自閉症はコミュニケーションが苦手だけれど、関心事に対する集中力、吸収力は天才的と言えるものがあります。関心事をいち早く発見し、適切に導いたお母さんに敬意を表したいと思います。

できた作品が素晴らしいので、心得のある友人たちに紹介したところ、絶賛されました。そこで、市内の銀行でロビー展を行うことにしました。友人の仲立ちでテレビ放映もされました。お母さんはよほどうれしかったのでしょう、知人や障害者支援関係の人に500枚もの案内状を出し、中学卒業記念作品展は大成功でした。その後、銀行の支店やギャラリーなどから依頼があり、作品展は県内各地で今も続いています。業者からのイラスト依頼も来るようになり、自立への道を着々と歩んでいます。
Mさんの絵を乗せたキーホルダーを銀山平の友人が土産物に置いてくれることになりました。絵を描く木片は私が作っていましたが、障害のあるT君に作ってもらおうと、今指導しています。障害があっても、できる部分を鍛え、それを結集させれば商品が作れるという点は、一般社会の仕組みと変わりません。障害者の誰もがMさんのようにいくとは限りませんが、一人ひとりの個性に応じた能力を鍛え、自立に向けた支援をしたいと木遊館は考えています。関心のある方はいつでもおいでください。

(10/22) アンテナギャラリー構想
 趣味の物作りは、「好きだから作る、楽しいから作る、喜ばれるから作る」に尽きます。そして作品が溜まるのはうれしいことです。困るのはテーブルや椅子など大きな作品です。作品が溜まると置き場がなくなるのです。途端に作る気力を失います。木遊館運営費の不足を補う意味もあって、作品を販売していますが、売れるのはわずかです。何しろ来館者があまりに少ないからです。「ものづくり趣味は多いけど、人はできた作品をどうしているのだろう?いつでも自由に展示販売できるところがあればいい」といつも思います。

 世間には、ものづくり趣味の方がたくさんいます。趣味の会などもあって、時折作品展を開いていますが、会場を借りるにも費用がかかり日数制限もあります。木遊館に出入りしている85歳のボランティアは、木の灯篭を作ります。地域の文化際などに出品して親しまれていますが、「もうあげるところがなくなった。車庫は灯篭でいっぱいだ。おれが死んだら焚きもんにしてくれ」と笑っています。絵を描いている姉に言わせれば、会場費と額代が賄えれば上出来とのことです。多くの作品はあまり人目に触れずにうずもれてしまいます。それでいいと言う人もいますが、誰でも自由に展示して、自由に値段をつけて展示できるギャラリーがあれば、次の材料費が得られ、交流も育って、創作の励みになるに違いありません。ずっと思ってきたことですが、そんなギャラリーは商売にならないから、維持するのは大変です。先立つものがないことが最大の弱みです。

 そんな時、廃業した近くのドライブインが売りに出ました。ドライブインなら多くの人に見てもらえるし、作家たちの交流もしやすい。早速友人と交渉にあたりましたが、そこはドライブインの認可だからそれなりの条件を満たさなければ建設できないとわかりました。すなわち、運転者の休憩、飲食がメインで、販売や展示は付録だということです。ギャラリーを作りたいなら、まず、ドライブインとしての形を整えるということです。
 ドライブインの再開となると、かなりの資金が必要です。出資する仲間を集めなければなりません。会社の経営はしたことがないから、明るい人を仲間に入れる必要があります。飲食店などの出店者も募らなければなりません。それらすべてを満たす構想として、「国道オアシス観音山」構想をイメージしてみました。次回、お話しいたします。

(10/29) 「国道オアシス観音山」構想
教師をしている時に、いつも1つの気がかりがありました。教育は自立の基礎を育てるものではありますが、自立できないでいる教え子が少なからずいるということです。もはや自分の守備範囲を出てはいますが、少なからず責任を感じます。ましてや近年の就職難では、希望とはほど遠い仕事やサービス残業で疲弊する若者も少なくありません。定年になったら、天下って若者の雇用を圧迫するようなことはしまい。わが子が自立して、多少の蓄えと年金で暮らせるなら、ボランティアに徹しよう。できれば、新たな仕事を興し、雇用を生み出したい。その際は、障害者や引きこもり、鬱など、なかなか社会に居場所を見つけられない人に職を提供したいものだ。…そう思いつつもその機会はなかなか訪れませんでした。女房には、お金も無いのに夢みたいなことばかり言ってとあきれられています。

 いま、ドライブインを再開させるという機会がやってきました。私が資産家ならばことはさほど難しいことではないかもしれません。しかし、そうでなくてもできる方法はあるだろう。「人にはよいことのために一肌脱ぐという熱い心がある」。それを信じて提案したのが地域株式会社、「国道オアシス観音山」です。
 ゆとりある地域の有志が資金を出し、その能力と人脈を生かす。地域の産物を活用し、人の輪をつなげる。地域の障害者や居場所を見つけられない若者を可能な限り雇用する。地域の外との交流を育てる。経営陣は給料なしで奉仕する。これが地域株式会社です。8月の末に発会した準備会議には、長岡造形大学建築科、障害者の会、出店希望者、地域の有志が集う(明日の郷土を語る会)、仲介の不動産屋、地主が集まりました。
 趣旨についてはおおかたが賛同してくれました。土地の所有権と会社の実態について説明し、不安を減らしました。最後の課題は資金調達です。銀行からの借り入れではなく、有志の出資で調達しようとの方向に傾いています。最後の不安は、果たして黒字経営が可能かということ。こればかりは開業しなければ分りませんが、勝算が見えるまで計画を入念に煮詰めようと思います。いま、広く有志を募っているところです。

(11/5) 地域株式会社と前期高齢者
経済格差が上下に広がり、低賃金、長時間労働、ワーキングプアーで夢や希望を持てない若者の閉塞感が募っています。しかし、世の中の厳しさを説いて、それに負けない人になろうと教える教育は正しくありません。優しく思いやりあふれる世の中を作るために貢献できる人になろうと教えるべきです。私はそうしてきたつもりですが、現状にはむなしさを覚えます。前期高齢者となった今、なすべきことは、優しい世の中作りに貢献することだと思っています。地域の前期高齢者が束になって、ボランティア経営陣を務め、地域株式会社を興すことだと思いました。

 私自身で言えば、少ないながらも、今までで1番お金があるのが今です。まだ現職時代の元気があります。人脈も生きています。そのような前期高齢者がどの地域にもたくさんいるはずです。それぞれが持つ力を少しずつ集めたら、地域に1つ、世の中を優しくする会社が作れるでしょう。それが地域株式会社です。企業活動で利益を上げながら、その利益を、地域に生きる、支援を必要とする人たちの支援に使う会社です。失業者、ひきこもり、障害者などの雇用、老人支援などです。利益を目的とせず手段とし、人を生かすことを目的とする会社があってもいいと思うのです。経営する前期高齢者は給料をもらいません。その分を支援に使うのです。しっかりした構想があれば、一肌脱いでくれる人はいると信じています。旅行や釣りや庭作りは、後期高齢者になってから妻とともにいそしみたい。それまで生きていたらの話ですが。

 地域株式会社は、地域の産業、産物を繋いで活性化させるという点では地域おこしでもあります。NPOでもいいのでしょうが、株式会社の方が経済活動の自由度があります。でも、既存の商店や企業を脅かしてはなりません。競争原理の経済活動で、どこまで共存共栄が計られるかは、やりながら工夫するしかないでしょう。脅威になるほどうまくいけば、逆に打つ手も見つかることでしょう。
 校長地代、学区の人に問われるままに、幾度かこうした構想を作ったことがありましたが、どれも実際には動きませんでした。自分自身が本気で身を投じ、骨をうずめる覚悟がなければ、人の行動を引き出すことはできないと知りました。私には、その覚悟は1度しかできません。失敗すればわずかばかりのゆとり資産は無くなるからです。退職したこれからの10年がその時だと思っています。「国道オアシス観音山」の今後にご期待ください。

(11/12) 障害児と普通学級
 40年前、新採用教諭として赴任した中条町立大出小学校で5年生を担任しました。40名の中に障害のあるCさんがいました。私はそれまで障害者との触れ合いはありませんでした。授業には参加できませんが、にこやかでおとなしい子でしたし、周囲の友達がよく心得ていて、いじめることはありませんでした。特に家が近い友達がいつも親身にサポートしてくれました。手すきの時に、声をかけたり特別な課題をさせたりした程度でした。休み時間にも、誘って遊ぶ友達が必ずいました。今でも素晴らしいクラスであったと思っています。

 6年生の秋に歩き遠足がありました。Cさんは到底歩き通せません。みんなで考えて、歩けるところはロープで引っ張るチンチン電車、疲れたら籠に乗せ、山道は先生がおんぶという計画で、全行程をCさんペースで実施できました。その時、クラスに障害者がいることはお荷物ではない、障害者にも普通児にも有益であるという確信を持ちました。その上に、適切な学習支援があればよいのです。友達が助けることを基本に置きつつ、補助員がいればなおよいということでしょう。人格の尊重、個性重視、貢献できる能力の育成が、私の教育信条になりました。

 校長になって、障害児教育を真剣に考える必要に迫られました。「個に応じた支援」は、障害の有無にかかわらず教育の基本です。特別支援も、特別な状態があれば障害者に限らず行います。障害があれば、特別な支援の必要度が高いというだけです。特別支援学級に在籍する子は、普通学級にも籍を持ちます。二重籍と言いますが、これによって、普通学級のみんなが友達として受け入れます。教科の学習でも学級活動でも、参加できる学習はみんなと一緒にやります。みんなと異なる課題の方が有効な場合は支援学級で個別に行います。体験的な活動では、有効と判断すれば学年を越えて一緒に活動します。ほかの学年の児童にも触れて相互理解を深めるためです。主たる指導はその学年の担任が行います。それによって支援教育の経験と理解が教師全員に広がります。このような取組で、障害者とのかかわり方を学び、差別をしない思いやりのある子供が育っていくのです。また、支援学級の担任が、体育や音楽、生徒指導や部活指導など、全校児童を指導する立場の主任あるいは副任になることは望ましいことです。全校に障害児との接し方を直接指導でき、親しい関係が築かれるからです。

(11/19)果物の心
 長岡市教育委員会の委託事業である「ジョイフル里山木工塾」には、市内30校1200人が体験授業にやってきます。午前の理科授業は植物単元を扱います。学校での学習に役立つ話と体験で、植物への興味・関心を高めるのが狙いです。その日は早起きして教材を探します。日ごろから目をつけておいて、その日の授業展開とグループ数にあわせて選びます。授業が始まれば、話はあちこちに飛んで、脱線します。40年やっても、授業は難しいものです。
 
そんな授業で毎回話すことがあります。それは果物の心です。まず、木の実には、栗やどんぐりのように実の中が種だけのものと、柿やりんごのように種の周りにおいしい果肉を持つものがあることを実物を観察して気づかせます。「何のために実を稔らせるのか?」と質問すると、「種を作るため」という答えはすぐ出ます。「では、たくさんの養分をつぎ込んでまで、おいしい果肉をつけるのはどんな意味があるのか?」と聞くと、しばらく考えて、「動物に食べさせて種を遠くに捨ててもらうため」と答えます。そこで私は話を次のように締めくくります。「私は、果物の木は偉いと思います。動物たちに食べさせるためにせっせと養分を蓄えているからです。それは木の意思だと思われます。そして、種を遠くに運ぶという本来の目的もしっかり果たします。栗やどんぐりも動物たちの餌となって動物たちを生かしますが、それは木の意思ではないように思います。食べさせるために養分をためるわけではありません。これを人の生き方に照らして考えると、周りの人たちを幸せにしながら、自分の思いもしっかり実現する、ということになります。みなさんも果物の心を持って生きましょう」。と話を結びます。

 「自分のためだ、頑張れ」とか、「勉強するのは自分のためだ」とか、とかく説教の言葉に「自分のため」が使われますが、「自分のため」が利己的、自己中心的であってはなりません。何のために学ぶか、何のために頑張るかを自ら見つけることが重要です。愛する人、家族、人類、理想や大儀など、ほかの人や社会、世界に貢献するという志、目的意識を伴ったとき、人は命がけで頑張れるのです。子供のときから、周囲に貢献する生き方を教えたいと思います。ラジオをお聞きのお父さん、お母さん、家族のために今日も頑張りましょう。