2011年1月18日火曜日

12 プレジョブ支援
 みなさんはプレジョブという活動を知っていますか。プレジョブは、障害のある子供たちの社会参加を訓練する活動です。主に特別支援学校、学級の生徒が参加しますが、希望する誰でもが対象です。とかく引きこもりやすい障害者を社会に連れ出し、知ってもらって、親しくなって、共に生きる地域の輪を広げる取組です。そのプレジョブが、新潟市に続いて長岡市でも、私の住む青葉台地区で発足しました。親の会のSさんとTさんの三丁目コンビがリーダーとなり、町内、行政、企業にと精力的に働きかけています。

プレジョブには、受け入れ企業とジョブサポーターが必要です。「障害者はたくさんいるのにプレジョブ参加希望者が意外に少ないのはどうして」と、会長のSさんにお聞きすると、「障害者が社会に出るときは、授産施設に入れればよいとか、面倒かけるだけで成長は期待できないといった、あきらめや遠慮があるようです」とのことでした。「でも、先進地では確実に成果が出ています。子供は働く喜びを知り、自信をつけています。成果が知れ渡れば、参加希望者はどんどん増えるでしょう」と話を続けます。「企業は思っていた以上に協力してくれます。気長に粘り強く活動すれば、地域に障害者理解が進み、居場所が広がって、温かい社会になっていくのです」と、目を輝かせます。親は、この子私の子です、いい子ですと、障害のあるわが子を堂々と連れ出してほしい、仕事を通じた温かい人々との触れ合いを重ねれば必ず成長します」とのことでした。

 私もジョブサポーターをしています。対象となる子供の数に比べてサポーターの数が多いので、私は月に1回1時間のサポートでした。半年を経て、町内のT君とは大いに仲良くなりました。これからもずっと友達でいたいと思います。次はどんな子とペアを組むかも楽しみです。おじさんでも嫌がらない、差別のない、純真な心は、彼らに共通する魅力です。
 先日、プレジョブリーダーのSさんとTさんが、「地域支援センター設立に向けて」というスケジュール表を持ってやってきました。準備1年、実績作り2年を経てNPO法人を立ち上げる。地域支援センター発足から就労移行支援事業所開設まで2年、都合5年計画の夢を熱く語りました。若い指導者が育っていることを実感しました。前期高齢者の私としては、出来る限りの応援をしたいと思いました。

13 ふるさと教育の心
 おはようございます。2010年も残り僅かになりました。里帰りでふるさとに帰って、子供時代を懐かしく振り返っている方もいることでしょう。人は生まれる時代も、親も、ふるさとも選べずに生まれます。温かいふるさとを持つことは人生の大きな支えです。「ふるさとは遠きにありて思うもの、…帰るところにあるまじや…」と歌った室生犀星は不幸です。不幸でも、そこしかないのがふるさと、自分の原点でありますから愛しくも懐かしくもあるのです。

校長時代、学校経営の柱の一つに「ふるさと教育」を掲げました。それは次のような書き出しです。
「鮭はなぜふるさとの川に帰ってくるのでしょう。それは、自分がこの川で生まれ、育ち、確かに成長できたという事実こそ、最も信頼できる場所だからです」。そして、「小学校は、ふるさとの大きな部分を占めています。そこで確かに育てられたという記憶を、どの子にも持たせなければなりません。ひとりでも、ふるさとを愛せない子供を育ててはなりません。それができなければ、学校の存在意義はありません。ふるさとのより大きな部分を占める地域もまた、怠慢のそしりを受けるでしょう。学校と地域は、一体となって子供に確かな力と温かい記憶を育まなければなりません」と結びます。

 しかし、それは永遠に課題です。目指して努力するのみです。良かれと思って精一杯努めるしかないのです。私が教師としてかかわった子供たちがどんな振り返り方をしているか、知りたいようで怖くもあります。そして今、大人への入り口で苦戦している若者たちが、教え子の中にもたくさんいます。それでも、「子供時代はよかった、あのころは夢と希望があった、そしてふるさとは今も自分を温かく迎えてくれる。自分には帰るところがある」と感じてくれれば嬉しいことです。里帰りしたら、友達を誘って、お子さんを連れて、自分が通った小学校、中学校を訪ねてみませんか。ちなみに、私が通った小学校は、校庭の入口に鍵がかかっていて入れませんでした。塀の外から眺める母校には、昔の面影はわずかに残るのみでした。

 挫折してふるさとに帰った若者には、せめて再出発の手がかりをつかませたい。そんな支援ができたらいい。退職した教師の正直な思いです。以前お話ししました「地域株式会社」はそんな心も大事にしたい会社です。

14 ヤマボウシの会
 あけましておめでとうございます。正月気分も今日まででしょうか。今年はどんな年になるでしょう。景気がよくなって、若者が希望を持てる年であってほしいものです。

私が20年来、万年事務局長をしている「ヤマボウシの会」は、会則らしきものがありません。年に数回、恒例の会を案内すると、都合のつく人が20人ばかり集まって来て、飲んで話す会です。行政、企業経営、教育、研究、社会奉仕など様々な分野でご活躍中の後期高齢者が多いのが特色です。
 
 銀山平に山小屋を経営する仲間がいて、時折そこで会を持ちます。10年ほど前、庭に引かれている荒沢岳の伏流水がとてもうまいのでこれは酒にいいだろうと調べてもらったところ、案の定、酒造りに非常に適した水だということでした。早速、その水を仲間が経営する蔵元に運んで、純米酒を仕込みました。試飲会での仲間の評価は、「すっきりさわやかな辛口の絶品」に落ち着きました。ラベルは仲間の版画家が描き、紹介文は会長が書き、山小屋で売り出しました。売り上げの一部を登山道整備に寄付することにしました。以後、その酒が、「ヤマボウシの会の酒」になりました。銀山平は雪が深いので、雪室を作って雪中貯蔵をし、6月にこれを開きます。銘酒が一層まろやかとなり、2か月遅れの山菜料理に舌鼓を打ちます。そんなよしみで、今年も蔵元の選手として利き酒大会に出ますが、どれを飲んでもみんな美味いので、利き酒は当たりません。

 事務局長は飲み会の準備をするほか、会合を案内する会報を書くのですが、余った紙面を埋めるために勝手な文章を載せます。教育のこと、学校経営のこと、地域興しのことなど、私の思いを書き続けて90号になります。すると仲間から色々な意見や支援が寄せられ参考になります。山菜の本の出版、雪国植物園でアルプホルンを吹く音楽祭、木遊館の活動、障害者支援、そして今回、オアシス観音山ドライブインの構想なども、仲間の意見を参考に進めています。人付き合いの苦手な私ですが、「ヤマボウシの会」を通じて知り合った人のつながりは、お金に勝る財産です。今年も妻の助けを借りて、事務局長を続けようと思っています。



15 手作り弁当の日
 昨今はやりの食育ですが、その範囲はかなり広いと言えます。食と健康、食事のマナー、食糧の生産・消費・流通・ゴミ問題、世界の食糧事情及び飢餓問題、調理する人、家族のことなど、学ぶことはたくさんありますが、人は、ほかの生き物の命をいただいて生きているという認識の深まりと感謝の心は食育の中核であると私は思います。米作り、野菜作り、牛、豚、ヤギの飼育など、いろいろな挑戦をしている学校があります。でも、増やせないのが調理体験です。給食があるので作る必要がないのです。

 ある学校で、月に1回、給食を止め、子供が手作りする「手作り弁当の日」を提案し、実施しました。親が作る花見弁当ではありません。おにぎり、のり弁当など、簡単に作れるものを子供が自分で作ってくる日なのです。学年に応じて担任が毎回指導しました。しかし、その初回の日、近所のみならず隣町のコンビニの弁当までが売り切れとなりました。何があったのだと、議会で話題になったそうです。お察しの通り、親が買って、それを弁当箱に詰め替えて子供に持たせたのです。回を重ねて、少しずつ自作弁当は増えましたが、まったくしない子もかなりいました。その後も保護者からは賛否両論が寄せられました。十分な議論と準備期間を置かずに、学校の一方的な実施であったと反省しています。そんな手作り弁当ですが、昨今、全国的に実施の動きが広がり始めているようです。手順を踏んで合意を形成してから取り組んでいたら、あるいは先進校と呼ばれていたかもしれません。

 学校を替って、調理の力を育てる取組は家庭学習に位置づけました。家庭学習の内容を教科にとどめず、運動や稽古、手伝いも含め、その中心に炊事・調理を置きました。30分単位で1点、1日3点までとし、100点たまると手づくりの賞を出しました。食育指導とあいまって、担任も指導に力を入れました。1年生の担任は、80%の児童がお米をといでご飯が炊けます。と嬉しそうに話してくれました。蛇足ながら、このような家庭学習の取組をすると、学力テストがいつも5点は上がりました。
 10歳までに調理・炊事の習慣を育てることが大事だと私は思っています。調理・炊事の力は生きる力の背骨です。自立の基礎の中の基礎です。包丁も早くから持たせたほうがいい。調理・炊事の力を大いに発揮して、家族に貢献する喜び体験を重ねれば、将来、家庭を築く大きな力となるでしょう。


16 田麦山マラソン
 おはようございます。寒いこの時期、私は木製のトロフィーを作ります。台座は自然木の輪切り、胴体はロクロを挽いてそれらしく作り、トップの飾りは大会ごとのオリジナルです。大会とはマラソン大会です。川口の田麦山ロードレース、田麦山クロスカントリー、東京市民マラソンの3大会で使用する計150個余りのトロフィーやカップを作ります。木製のトロフィーを提案したのは田麦山スポーツ振興会の森山正夫さんです。もう一人、振興会の来賓として長らく交流のある宇佐美彰朗さんです。かつてオリンピックマラソン選手として活躍した宇佐美さんが、山の大会には素朴な木製トロフィーがいいと推奨し、使ってくれるのです。
 
田麦山は小さな集落ですが、昔ながらの人間関係が生きています。活動のリーダーが森山さんです。こんな小さな集落に500人が参加するロードレース、250人が参加するクロスカントリーの2つのマラソン大会があります。地域の人のボランティアで25年も続いています。近頃は、東京からもたくさんの選手やボランティアがやってきます。

また、田麦山スポーツ振興会を核として、たくさんの会が発足しました。木工「杣の会」、アルプホルンの会、田麦山自然塾、魚沼線沿線の会などです。その後、中越地震があり、震源地の田麦山には多くの復興ボランティアがやってきましたが、そのまま活動仲間になった方も少なくありません。今年から自転車のクロスカントリーも始まりました。遠方からの参加者の宿舎は廃校となった田麦山小学校です。宿泊を世話するボランティアの会も生まれました。
 
 ごく普通の山村である田麦山で、様々な活動が次々興るのはなぜでしょう。それは人の温かさです。自主自立の精神で地域を盛り上げようと手弁当で動く人たちがたくさんいるからです。山があれば山を、道具があれば道具を、力があれば力を、ある物を惜しみなく提供し合うことで、少ない予算でも活動ができるのです。魅力あるリーダーのもとに、魅力ある人々、心意気のある人たちが集まってきて、自主的に動いているから素晴らしい。貢献する喜びを知る人たちです。私も大いに感化された一人です。たびたびお話ししているオアシス観音山構想には、田麦山の前期高齢者仲間を誘って、山菜手打ちそばの店をぜひとも加えたいと思います。

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